葬儀場の人のすごさを実感した話
先日書いた父方の爺さんの葬式の話である。
高齢化の波に伴い、最近は近所の集会所ではなく大きい葬儀場での葬式が主だ。
葬儀場の人・・・この頃はセレモニアと言うらしいのだが
葬儀中に故人がどんな人だったかを語ってくれるターンがあるので
具体的に教えて欲しいという話があった。
その打ち合わせに私も参加した。
家族、親戚一同は口を揃えて言う。
「ひょうきん者でしたね」
週に2~3回は死んだふりをする爺さんだ、当然と言えば当然である。
さすがに葬儀で「ひょうきん」は使えまい、と色々考えるが出ない。
誰からも「ひょうきん」としか出ない。
残念ながら時間切れでセレモニアの人は帰ってしまった。
さぁ葬儀本番、どうなるものかと耳を澄ましていると
「~~~故人は非常にユーモアがあり、~~~」
と言い替えられていた。
そうか、その言い方があったか。
一瞬だけ、親族席の空気がどよめいたのを感じた。
語彙力がないと勤まらないと初めて気づいた。
一番すごいと思った出来事である。
その他、死化粧担当の方のおかげで爺さんにときめく婆ちゃんが見れたり
焼かれた爺さんの骨を見て「腰が悪かったんですか?」と言い当てたり
心穏やかに爺さんを見送らせてもらえた。
と同時にプロの仕事を存分に見させてもらう体験だった。
多くの人がやりたがる仕事ではないだろうが、本当に助けて頂いたと思う。
ブログを書いていてしみじみ思った。
あまりこういうのは好きではないのだが、今になって感謝である。