ビビりあげろんの記録と実験

考えたことをまとめたり、気になることを試したり

心配するのは、信じてないから

後輩を心配する。

子供を心配する。

大丈夫だろうか、

ちゃんとできるだろうか、

寂しかないか、お金はあるか、今度いつ帰る。

 

心配するのは当たり前のことだ。

大切な人であればあるほど

うまくいって欲しい、元気であって欲しい、幸せであった欲しいと思うもの。

でも伝え方によっては相手への押し付けになり

相手への「あなたを信じていません」というメッセージとなる。

 

離れて住む妹から電話があった。

転職活動中なのだが、両親からの仕送りに必ずお守りが入っているという。

ありがたいことではあるのだが、大量にお守りがあっても困るし

何より「自分は出来ない子だと思われている」と感じるので

やめて欲しいのだそうだ。

私が提案した解決策は後日書くとして

いかにも「心配してます」と伝えると、相手は「信頼されてない」と感じる場合がある。

「あなたのせいで私は心配なんだから、あなたがこの気持ちをなんとかしてよ」

という、自分の気持ちを人のせいにする要素もあるのではないかと思う。

 

心配と信頼、どちらも人間関係に必要なのだろう。

このケースとは逆に全く心配されない場合

「放置されている」「どうでもいいと思われてる」と感じるかもしれない。

じゃあどうしろと言うのか、となるのだが

相手をしっかり観て、コミュニケーションを取るしかないんじゃなかろうか。

心配な気持ちを伝える時もあれば

心配だからこそ、何もせず見守る時もあると思う。

相手がどう受け取ろうが関係なく自分の気持ちを伝えるのもありだろう。

 

 

・・・色々考えて、もう好きにすればいいじゃんと思ってきた。

人間関係ほんと面倒くせぇな。