ビビりあげろんの記録と実験

考えたことをまとめたり、気になることを試したり

読書感想文が大嫌いだった理由を考えた

他人への不信感だと思われる。

 

夏休みの宿題の中で、読書感想文が断トツで嫌いだった。

読書が好きな子供だったが、そんなもん関係ない。

内容のほとんどが要約、というお粗末な感想文しか書いたことがない。

課題図書はまだいい。

「ああ、大人はきっとこういう感想文を書いて欲しいんだろうな」

という本ばかりだからだ。

チョイスの意図が明確すぎる。

「戦争はいけないと思いました」「自然を大切にしようと思いました」

そんな感じのことを書いておけば終わる。チョロいチョロい。

問題は自由図書だ。

好きな本について書きたい、でも好きな本の感想なんてない。

「面白かった!」で必要十分なのだ。これ以上語る必要があるか?

いいから読めよ!私の感想なんて必要ないだろ!と思っていた。

 

そんな昔の私に言うならば。

お前の感想を読んで、面白そうな本だと思ってくれる奴がいたら嬉しくないか?

簡単なレビューを書けばいいよ。

「かっこいいなと思った場面は?」

「キャラクターの好きな行動や嫌いな言動、またその理由は?」

「作者と同じ考え、違う考えだと思った所は?」

「がっつり作者に反論したらよくない?」

 

でも、それができなかったのはなぜか。

自分の考えや気持ちを外に出すのが嫌だったからだ。

口を閉ざすことがあまりに当たり前になりすぎた。

「私がこんなこと考えてると知られたら嫌われる」

「どうせ私の感想は否定される」

要は他人を信用していないのだ。

「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」と中島敦山月記で書いているが

だいたいそんな感じである。

(余談だが山月記は共感が半端ない)

信じてない人に自分の感想なんて言えるはずがない。

 

そして今も変わらず自分の気持ちを口には出せない。

昔は自覚がなかったが、人への不信感が結構ある。

あるいは他人に期待しすぎているのかもしれない。