【水災記録】小屋浦ボランティアに行ってきた②9月編
※数日前の話。今日は雨がヤバくて行ってない
ボランティアが足りないと言われている坂町小屋浦。
前回行ったのは一か月前。
小学校がボランティアの受付になってたんだけど、
学校再開の時に移動した場所が分からなかったので「4丁目サテライト」へ行くことにした。
バイパス(広島呉道路)の近くなので目印には困らない。
小学校よりもうちょっと山の方にある。それでも歩いて10分くらいである。
各地から送られてきたメッセージ入りの土嚢袋がはためいている。
受付では
「そこに名前書いてください。ボランティア保険入ってます?OKです。
じゃどこに行ってもらいましょうかねー」
と言った感じ。オリエンテーションとかない。
(ボランティア保険入っている=経験していると思われたのか)
たまたま道具を取りに来た人のグループに混ぜてもらい、現場へ。
ヤバイ。これはヤバイ。
発災から2ヶ月。復旧・・・復旧と言っていいのか?
土砂の撤去は進んでいるのだけれど、家が何軒もぐちゃぐちゃになっている。
川を挟んで両側が茶色である。
同じ地域の水害でも下の方が「砂・砂利」が多かったのに対し、
4丁目の方は「石・岩」が多い印象。
川が溢れた、土砂崩れが起きた、というより
山が押し寄せて来たと表現するのが近いと思う。
川の歩道がなくなっている。当然ガードレールもない。
川底まで落ちたら少なくとも骨折はするであろう高さがある。5mはあるか?
車は一台やっと通れるくらい。
その道をトラックがすごいスピードで登っていく。怖え・・・
今回伺ったお宅は解体する予定なのだそうだ。
解体する家でも、土砂が残っていると費用が跳ね上がるそうだ。
被災した方は今からの新しい生活のためにお金が必要だ。
ここにお金をかけるわけにはいかない。土砂の撤去は必要なのだ。
(ちなみに真備でもお皿やタンスなどの物資援助をしていたりする)
解体する費用が土砂の有無で変わるなんて知らなかった…
中は頭の上までは土砂が来た形跡がある。ヤバイ。
ほんと助かって良かったね・・・
作業しながら思うのは、サテライトによって雰囲気が違うということ。
みんな話ながら適宜休憩をとっている。
「体調も体力も経験値も違うのに、同じように休憩なんかとれんだろ」
という考え方らしい。
前行ったところは社協の兼ね合いがあるので決まり事も結構あるのだが
こちらは民間で集まっているので割りとゆるめなのだそうだ。
ゆるければ自由度は高いだろうが、自己判断になる部分も多くなり大変だと思う。
小屋浦は発災当初から物資も人も来ないと言われていた。
ではなぜそんな事態になったのか?
小屋浦に行く途中の道(水尻)が大きく崩れたため、行くに行けない状態が当初。
交通が国道31号線しかなくなり大渋滞が発生し、他の地域にボランティアさんが
行ってしまったため、なかなか人が来なかったそうだ。
また報道が大きくされたのが、隣町の天応なのであるが
天応は呉市、小屋浦は安芸郡坂町に属する。近くても行政が違うのだ。
呉市では中央から各所に派遣していたそうなのだが、そこから小屋浦へ、といった人数調整が簡単にできないのである。
行政間で連携、って簡単にいうけど難しいのだろう。
前回と比べると、色んな話をしながら作業をした。
関東から来た人が「土の色が白い!」と驚いた話とか。
15時くらいで作業は終わり。もうちょっとして行きたい人は残っている。ゆるい。
時間が決まっているのは体調管理の部分もあるので一概にゆるいのが良いわけではないのだけれど。
ナフコまで送迎して頂いた。力尽きるまで作業するので、すごい助かる。
なお送迎の方もボランティアである。
どこも大変であることは続いている。当初よりは落ち着いたけれど。
今日から呉線が復活した区間もあるし(国道185号がまた崩れたけど…)
でも関西の台風も北海道の地震も全然落ち着いてはない。
出来ることをしたい。