ビビりあげろんの記録と実験

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【愚痴】ライブ後に考えた徒然というか溜まっていた諸々

amazarashiのライブ(ライブビューイング)に行ってきました。

ライブでは大量の音と言葉と物語をぶち込まれ

終了後は頭がしびれたみたいになっていたのですが

今になってめっちゃ考えることがありました。

まぁほぼ愚痴というか、溜まっていたものを吐き出しているような感じです。

人の影響を受けやすいタイプなので、詩みたいになりましたよ。

5年後に見たら布団の中でジタバタして死ぬ奴です。

 

 

我慢は美徳である。

いざという時に我慢ができない人がいるとしんどい。

水害の時、給水車の担当の人に、やれ水がカルキ臭いだの量が少ないだのと

文句をつけるバカがいた。

一時の感情を表にして、どうしようもないことを言っても仕方ない。

無駄に他人を不快にしてどうするんだ、みんな困っているのに。

給水車の人だって被災してんだよ。

 

我慢は美徳である。

自分一人だけが幸せになるのは自分勝手が過ぎる。

せっかく集団で生きてるのに、他の人に何もメリットがないのは違わないか?

多少のことなら我慢して、全体が笑顔になるならいい。

最大多数の最大幸福って言うじゃない?

 

我慢は美徳である。

どうも美徳であるらしい。

我慢すれば褒められる。

「我慢強いね、すごいね、いいこだね」

我慢しすぎて、それが当たり前になって、もう褒められることはない。

すでに我慢をしているという自覚もない。

寝落ちするように我慢できる。

自覚するのは爆発する直前くらいのものだ。

そして静かに爆発して、私はあなたの前からいなくなる。

前の仕事をやめたのはそんな理由からだ。

 

「あなたが辞めると思わなかった」

何人に言われただろう。

50人以上いる中で、私の退職に理解を示したのは2人。

40時間以上働こうとも、大半からはしんどいと思われていなかったようだ。

「私はこんなに我慢しているのにあいつらは!」

特定の人物から夜中に愚痴を聞かされて帰れなかったな。

私の我慢をお前にぶつけたらどうなるだろうと思ったよ。

それでいて私の態度が不快だと上司づてに改善を求める。

私はあの店の人間にとって使い古されたサンドバッグでしかなかった。

 

どんな美徳も過ぎれば毒だ。

私はあまり自分の意見を言わないできた。

言えば怒鳴られる。叩かれる。

「屁理屈を言うな」「言い訳を言うな」「生意気だ」

何を言えばいいか分からない。

何を言えば怒られないか分からない。

自分の気持ちを口に出すのは怖い。

 

ならば口を閉ざせばいい。

 

その結果が今のコミュ障だ。

人とうまく喋れない。何を話せばいいか分からない。

雑談が大事?冗談言うな、話しかけたって会話なんて弾まないじゃないか。

でもどうすればいいのか分からない。

 

私が飲み込んだ言葉や気持ちは、私の中でずっと燻り続けていた。

燻って、上からさらに溜まって、腐敗してるんじゃなかろうか。

さらによく考えれば、飲み込んですらいないのだ。

「言ってもいい」言葉だけを選んで口に出してきた。

言おうと思う前に消し去ってしまっている。

一体私は、どれほどの言葉を自分から消し去って来たのだろう。

なるほど、息がつまるわけだ。

「もの云わぬは腹ふくるる思い」と言う。

身体は気持ちに導かれる。そりゃ太るわけだよ。

 

「言葉を取り戻せ」

ライブの最初から最後まで繰り返された。

ライブでは社会的に検閲がかかっていて、人々は互いに発言を見張り合っている

という設定だったのだが

現実で私が発する言葉を検閲しているのは私自身だ。

 私が切り捨てた言葉の中に、私が感じた気持ちとか考えとか

そういうのがたくさんたくさんあるのだと思う。

積み重なった言葉は私を形づくる。

そういった言葉を取り戻したいとは思うのだけれど

言葉を取り戻すことによって本当に取り戻したいのは、「切り捨てた私」だ。

切り捨てたものの中にきっと答えがある。

 

 

・・・なんでこんなこと考えているのかって

ライブの余韻に浸りながら幸せな気持ちで寝たら

「小さなミスをして謝ったら、八つ当たり的に異常にねちねち文句をつけられて

それに対して何も言わないままムカムカしている」

っていう変にリアルすぎる超絶超絶不愉快な夢を見たからだよ!

夢の中でさえ自分の気持ちが言えねーのかよ、自分に腹が立つ!!クソが!!!