主観と客観って何がどう違うんや
高校生の時からの疑問。
「主観」と「客観」って何なんだ?
いや何なんだと言われたら主観と客観だよダアホめと返って来そうなもんだが
そういうお話ではないのですよ。
数学の式にこういうものがあります。
1=0.99999......
なんでかっていうと
1=1/3×3
1/3=0.33333.....
1/3×3=0.33333.....×3
1=0.99999......
こういう証明が出来るから。
でも直感的には違うと思う人も少なくない。
ググってみたらそりゃもう大論争になっていて手に負えない。僕わかりません。
数学で証明ができるので、この式は「客観的」と言えます。再現性もあるしね。
でもこの式が「客観的に正しい」と思うのは「主観」なのですよ。
この式について説明したところ
「ほんまじゃ!すごいね」と言った人と
「最後の0.0000.….1がないんだから、別もんじゃろ」と言った人がいますが
どちらも正しいようなんですよね。
色々繰り広げられているお話が理解できていないからだと思いますが、どっちも正しいみたいです。たぶんそう。
ググった色んな記事を見る感じ、たぶんそう。
もう一度言いますが
ある物事が客観的であるかどうかを判断するのは、主観です。
そう考えると、客観的なものって何だろう?と思うのです。
(「客観的」と「客観的に正しい」がごっちゃになってるけど進めますよ)
「この世には主観しかない!」という話をよく見ます。
自己啓発系だけではなく、ニーチェも似たような話をよくしてます。
しかしですね、例えば「そこの赤ボールペン取って」と言われたら理解できますよね?
「そこ」も「ボールペン」も「色」も理解できます。同じ概念を共有できます。
別言語を使う人だとすぐには分からないかもしれないけれど
カタコトとかジェスチャーでも通じますよね。(「赤」は通じないかもしれないけど)
そう考えると「主観オンリーでもなくない?」と思うのです。
となると次に疑問に思うのが
「主観と客観の差ってどこで生まれるんだろう?」ということです。
主観と客観が混ざり合っている。
いやわざわざ疑問に思うことなくない?と思われるかもしれませんが
意外と「主観」「客観」は意見の食い違いが起こりやすい所です。
「データで見たら客観的に考えてこうだろう?」
「いやそのデータの見方、主観的じゃないですか?おかしいですよ」とか
意見に個人差があるのは当然です。当たり前のことだし、必要なことです。
しかし関係ない所でもめるの時間の無駄なんですよ。
私は必要なことを議論して早く帰りたい(働きたくないでござる!)
こういう話を知り合いの大学院生にしたところ
「主観と客観って連続してるんじゃないの?スペクトラムみたいに」
という脳みそが燃えるようなお答えを頂きました。
「これは主観70%、客観30%くらいの話なんだけど」みたいな感じだそうですよ。
ずっと考えてるテーマなので、何か進展があればまた書いていきます。