疑問の発露は誰なのか
本を読んだりするのが好きなのですが
「いかに疑問を持つか?」
これがすごく難しいことだと思っています。
疑問を解き明かして何を得たいのか?
得たもので何をしたいのか?
知ってどうしたいのか?
とかとか
色々考えないと、その後のなどのアウトプットに繋がらないなと思います。
得た知識を使う、人に教える、考えをまとめて人に話す、など。
アウトプット前提じゃないと、疑問がないと次のステップに行きにくいというか
そのあたりを詰めて考えたい今日この頃。
そういう、ある種の道具主義的な考え方もできるのですが。
「知りたい!」じゃ駄目なの?
だって知りたいじゃん、当たり前のことを詳しく見たらすごい複雑な仕組みだったり
スケルトンの機械とか面白いし
宇宙もミクロもサイズは違うのに同じような形の物があったり(太陽系と原子とか)
世界ってすっげー広いんだよ面白いんだよ!
と自分に対して言いたくなる時があります。
例えるなら
研究者になって、自分の知識を深めつつ役に立つ研究をして人と関わりたい大人の自分と
知識欲全開で興味があることをただ知りたくてしょうがないだけの子供の自分とが
一緒に本を読んでいるような感覚です。
5W1Hなら「why」だけ子供が持ってるような感じ。
なんで攻撃を自分が自分にしてくるというか。
興味を持つことの大元は子供側だと思うのですが
具体的なことの吸収には大人側が欠かせません。
この2人ともが楽しく勉強(インプット→考察→アウトプット)出来たときに
知識が知恵となるのではないかと思います。