江戸時代の技術について@科博ディスカバリートークまとめ
国立科学博物館では、土日祝日に
科博の展示物をテーマに、30分くらい研究員の方がお話して下さいます。
聞くことが出来たので、アウトプットの練習も兼ねてまとめます。
本来の説明と違うかもしれないけどご容赦を。
ちなみに ディスカバリートークは無料で聞けます!超絶お得!!
館内に何か所かトークスペースがあるようです。
迷わないように、事前に場所を確認してから行きましょう←迷った
説明して下さったのは鈴木一義さん。今調べたらセンター長でした。
鈴木一義 プロフィール|講演会・セミナーの講師紹介なら講演依頼.com
緑字は私の感想です。
数学(和算)について
江戸時代の数学(和算)は「作る数学」
なぜなら、現代のように明確な「問題作成者」がいないから。
誰かが問題を作って出す→解く→問題がなくなるから問題を作る というサイクル。
問があれば解く、問がなければ作る という登山家と同じテンションなので
開国して海外から数学の問題がやってきても粛々と解くのみ。
問題を作る→解く→作る…という習慣が出来上がっているので
海外から分からないものが来てもどんどん考えるし調べる確かめる。
死んだ爺さん(電気系技術者)みたいやな。
例えば。
伊能忠敬は、日本地図を作る目的で旅をしたと思われているけど
最初の目的は別。
地球の大きさを計るためだった。
なぜそれが分かるか?というと、最初は函館に向けて一直線に進んでいるから。
地図を作るなら海岸線沿いに進むはずだけど、真っすぐ進んだのは
三角形を作って、距離や角度から経度1度がどれくらいになるか調べるため。
ちょっと違うかも・・・数学好きだけど出来ないんですごめんなさい。
でも「地球の大きさ計りまーす!」なんて言っても幕府から許可が下りないので
「地図作りまーす!」って言った。
目的の地球の計測は早々に達成されたんだけど
地図を作るって言った手前、作らなきゃいけないから頑張った。
こんな感じで、
図鑑の違いについて
生き物図鑑を見比べると、各国で「リアル」が違っていることが分かる。
欧米:神にとってのリアル。生き物は神様が作ったもの。神様の作品コレクション
中国:こんなんいるで~というのを集めたもの(ざっくりしか覚えてないっす)
日本:社会にとってのリアル。実際に使えるか使えないかが判断基準。実学。
欧米にとって神は切っても切り離せないもの。
リアルが何かは人によって、社会によって違う。
そうなると「リアル」とはなんだろう?
欧米では神に対しての知識なので、実学と知識は別の物。
日本では知識は実学として使用されてナンボ。
科学で重視されるのは再現性。
再現させるための実学としての科学、だったのが日本。
具体例は「養蚕秘録」たぶんこれ↓
養蚕秘録. 上,中,下巻 / 上垣守国 作 ; 西村中和,速水春暁斎 画
蚕の知識はヨーロッパにもあったが、養蚕とは結び付いていなかった。
蚕は蚕、その知識だけだった。
日本の養蚕の本がヨーロッパに行き、知識と結びついて、たいそう喜ばれたらしい。
200年前のヨーロッパは、今の学校の勉強と社会の乖離みたいやな
基準の話
日本では物を計る基準がバラバラだった。
例えば、「1尺」の長さは人によって違うし
ものさしも場面によって使い分けられていた。例えば「鯨尺」など。
これがメートル法などで統一されることとなった。
尺貫法も使われるけれど、1尺=30cm など、一定の長さになった。
基準が統一されたことにより、再現性が上がった。
来年はkgの基準が変わる。
基準は何度も見直される。
もっと短くまとめられんかなー。力不足よ・・・
もっと、最初の話にからんでくるんですよ。