祈りの価値
僕らは無力だと暗闇に祈るのが
本当に無力とは信じないぜ
amazarashi「祈り」より
神様が本当にいるかどうか、またどんな神様を信じるかは別にして
人が神に、人に、あるいは形なき何かに祈りを捧げる姿は美しいと思う。
テレビやネットで見て、忘れられない映像がいくつかある。
朝日に照らされながらモスクで祈りを捧げる老人
船の中に設置してある小さなマリア像に日々感謝する長崎の漁師達
念仏を唱えながら雪が舞う被災地を歩く僧
共通して言えるのは
祈りが形骸的ではなく、生活や感情に根ざしているものであること
大切なものや人を、大切に丁寧に扱おうとする気持ち
ではないかと思う。
あるいは祈らないではいられない、
祈る他に出来ることなんてない状況なのかもしれない。
祈るより、願うより、具体的な行動に移した方が願いは叶う。
しかし他に出来ることがないなら、せめて祈りを捧げる対象があることは幸いだ。
心の支えになるだろうから。
そういった意味で祈りは無力ではない。
天災にせよ人災にせよ、人の力の及ばない範囲に関しては祈るしかないのだろう。
そういった心からの祈りはどこか悲しいが、やはり美しい。