ビビりあげろんの記録と実験

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「言葉を取り戻せ!」取り戻すのは誰の言葉なのか

amazarashiのライブで繰り返された「言葉を取り戻せ!」という叫び。

Twitterで「Get  Back  Our  Words」と書いてあるのを見た。

物語に則するならこれでいいと思うんだけど、現実世界で考えるなら、微妙に違うかもしれない。

物語だと「現実的に言語統制されていて、そこから外れたら強制的に修正される」という世界なので

「私達の言葉を取り戻せ」でいいと思う。

ではリアルでは?と考えると

テレビとかだと禁止用語があったりするけど、これを話しちゃ駄目!ってものは

ないではないし、話せば叩かれるが、物語ほど禁止されてはいない。

 

「言葉を取り戻せ」という言葉に共感、感情を揺さぶられるのは

私が私自身の言葉を殺しているからだ。

我慢して我慢して、自分が我慢していることすら気づかなくなって人の顔色を伺って

何を言えばいいかも何を言いたいかも判らなくなって

言葉を殺した、死に損ないの言葉ゾンビは私だ。それと同時に新言語秩序も私の中に存在する。

 

言葉を殺した先にたどり着いたのは

何を言えばいいか分からない

自分の意見がない、自己開示できない、伝わらない

コミュニケーション不全の弊害をモロに被っている私だ。

言葉を殺せばそうなる、使えるパーツが少ないのにラジオを組み立てることはできない。

だから私は、「私」の言葉を取り戻す必要がある。「私達」ではない。

 

あと本当に「word」なのか疑問。物語ではもちろんwordでいいと思う(ガチ言語統制だし)

私が殺したのは単語だけではなくて、伝えたいこととか、ニュアンスとかも含まれる。

そう考えると、本当に殺したのは言葉ではなく気持ちなのかもしれない。

languageも考えたけど、これだと「言語」の意味合いが強い気がして

ラテン語とかアイヌ語とか失われた言葉感があって違う気がする。

調べてみると、「word」「language」だけでなく「expression」も使えるみたい。

言葉って英語でなんて言うの? - DMM英会話なんてuKnow?

「表現」と訳すなら、この方が近いと思う。

 

つらつらと考えた所で、私が自分を押し殺していることに変わりはない。

それは別段悪いことではないのだろうけれど、まぁしんどいのはしんどい。

自分を殺しても殺さなくてもしんどいのだろうけれど、自分を殺さないでいると素の自分がモロに攻撃を受けるようでつらい。

私のHPはそんなに高くない。

 

自分を殺さなければ防御力がダダ下がり

自分を殺せば毒でHPがじわじわ削られる

そんなことを考えていたらもうこんな時間。

この2択で迷うこと自体が間違いなのかもしれない。