ビビりあげろんの記録と実験

考えたことをまとめたり、気になることを試したり

迂闊にも宗教の勧誘に立ち向かおうとした話

大学生の時である。

案の定、うちにも宗教の勧誘が来た。

屁理屈野郎としては言い負かしたい・・・!と思ってしまった。

ちなみに当時、サークルの部室にきた左翼系の奴に

「お前の言うことにはソースがない」だの言って追い返したことがあるので

調子に乗っていたことは否めない。

口はうまくない、コミュ力無人間の無謀な挑戦がここに始まった。

 

とりあえず話を聞く。

聞いて、重箱の隅を楊枝でほじくる簡単なお仕事である。

とりあえず気になった「神様」について。

そちらの神様は名前がない、というか声にだせないというか、そんな感じなので

「なんで名前を聞いたこともない人の言うことを信じないといけないの?」

なんでどこの誰との知らない人の言うことに従わねばならんのだ。

理由は言っていたが、なんか良く分からんかった。

覚えていないくらいなので、大したことはなかったのだと思う。

ここはそんな感じで30分くらい話して終わった。

こんな面倒くさい家にはもう来ないだろうと思った。

しかし、それが失敗だった。

奴ら週1ペースで来るようになってしまったのだ。

別に反論するでもなく、話に来るような感じである。

寂しいのかなんなのか。

まあ新興宗教にハマる人の多くは寂しいのだろうと思ってはいるが。

バイトを始めたくらいの時期だったので、家にいる時間も減り

そうするとそのうち来なくなった。めんどくさかった。

 

「一貫性の原理」という言葉がある。

人間は、自分の行動や考え方や態度を一貫したものにしておきたい、という心理が働くというものである。

これを応用したテクニックに「フット・イン・ザ・ドア」というものがある。

訪問営業のテクニックだが、ドアを開けて話してもらえれば

商品を買ってもらいやすいというテクニックだ。

大まかにいえば「小さな要求を飲んでもらえれば、大きな要求も飲んでもらいやすくなる」というものである。

今回の場合でいうと「ドアを開けて話しかけた時点で見込み客」ということになる。

営業目線で言うなら、見込み客には積極的にフォローするよね、というお話である。

なんのことはない、居留守を使わなかった時点でアウトだったのだ。

話しかけたなら、コテンパンにしておかなければならなかった。

全て中途半端さが招いた事態である。

 

それ以来、面倒くさいので「興味ないでーす」で断っている。

営業としても、とっとと断られた方が楽なのだ。

そう、これは優しさなのである。